Sae Lee ~From Paris~

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CIMG4445.jpg昨シーズンのホフマン物語(オッフェンバッハ作曲)、カプリッチオ(シュトラウス作曲)、今シーズン、エレクトラ(シュトラウス作曲)、アルチーナ(ヘンデル作曲)、魔笛(モーツァルト作曲)に続いてのカールセン演出。演出家によっては作曲家や時代が違う作品でも何かしら同じ傾向が見受けられること、「演出ありきの作品」という事が多いのですが、カールセンの演出は、「作品ありきの演出」という印象が強く、いつもどんな演出になっているのかとても楽しみにしています。

今回はロミオ、ジュリエットの2人が亡くなり、ジュリエットの父が嘆く中、両家が再び剣を交え、人間の恨み、憎しみは消え去ることはないというメッセージを予感させる、血を思わせる赤を基調にした舞台。ロミオ役のデシャイエ、ジュリエット役のシウリナの女性陣の熱演もあり、見ごたえのある作品となっていました。
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CIMG4321.jpgワーグナーのトリスタンとイゾルデを見てきました。2008年、パリオペラ座の日本での引っ越し公演でも上演されたピーター・セラーズ演出、ビデオ・アートの巨匠ビル・ヴィオラの映像が特徴的なプロダクション。18時に始まって、2回の休憩をはさんで、終わったのは23時半頃。プログラムには、プロダクションの生みの親で先月他界された初演時のオペラ座総裁のモルティエへの追悼公演と記載されていました。モルティエ氏は2004年にパリ国立オペラ座の総裁に就任以来、「ヨーロッパで最も刺激的なステージ」を目指して斬新な演出家の起用してプロダクションを次々と制作、埋もれていたオペラ作品の発掘などに尽力されました。

モルティエが「ピーター・セラーズによる演出はヴィオラの映像に仕えるものであって演技的な側面は必要最小限な動作にとどまる」と答えているように、ビル・ヴィオラの映像が主役の演出で、セラーズの出番はほとんどなしといった印象。ヴィオラの映像は、第1幕と第3幕は水を第2幕は火の要素をふんだんに取り入れ、はっとさせられるような美しい場面もあったのですが、ワーグナー特有の事細かに心情や状況を描写する長大なテキストには、個人的にはもう少し動きのある舞台の方が楽しめるような気がしました。

歌手陣では、先日のモーツァルトの魔笛でも素晴らしい歌声を聞かせてくれた、マルケ王役のフランツ・ヨーゼフ・セリグが白眉。
モーツァルトの最後のオペラ「魔笛」に行ってきました。カーセン演出、バーデン=バーデンとのコープロダクションで来シーズンも上演される予定です。このオペラは、モーツァルトがメンバーでもあったフリーメイソンのさまざまなシンボルや教義に基づく歌詞や設定が用いられていることも特徴で、序曲の最初や中間部ではフリーメイソンの重要な儀式とされる3回のノックを模倣する「3つの和音」が何度も現われたり、夜の女王の3人の侍女、タミーノとパパゲーノのお供の3人の童子、など各所に「3」を象徴的に使われています。モーツァルトは若くして急死したため、現在では否定されていますが、フリーメイソンの教義を漏らしたため暗殺されたという説もあったほど。

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演出面でも、「3」を象徴的に使っていました。左写真の穴のように見える部分はオーケストラピットです。宝塚歌劇のような舞台ですね。右写真の一番奥にあるスクリーンを含めて、舞台を4つに区切る4枚のスクリーンが。一番手前のスクリーンはちょうど人が立っている真後ろに、幕の少し後ろ部分に下りる状態になります。「魔笛」は登場人物の出入りが多く、特に2幕は舞台転換の頻度がかなり高いので、各スクリーンを降ろしてスクリーンの前で舞台が進行している間に、スクリーン裏で舞台変換を行うという手法でした。場面によって土壌かと思えば、また芝生にの繰り返し。舞台裏はさぞてんてこ舞いだったはず。その間スクリーンには森の風景が映し出され、オペラ全体を通して森の四季が映し出されました。

1幕は奥から三つの芝生部分の右側に地獄へ通じる穴があり梯子がかかってるのが見えました。この芝生部分が夜の庭園という設定。2幕はその長い梯子が天井から床まで3本あって、土壌に。1幕の舞台の下の世界、試練を受ける場所として描かれていました。その後、一番後ろの部分はスクリーンで隠され、真ん中は芝生(夜の庭園)+穴。手前が長い梯子に土壌と上下を後前にし、例えば奴隷頭モノスタトスが舞台手前の梯子を上って夜の庭園に上がってこようとする所、夜の女王がバケツを手にして芝生の穴に水をかけると、手前の梯子部分から奴隷頭モノスタトスめがけて水が降ってきます。

CIMG4085.jpg「魔笛」の登場人物で主役以上にキャラが立っているのが夜の女王とパパゲーノ。今回の注目はパリ・オペラ座デビューの夜の女王、サビーヌ・ドヴィエイル(Sabine Devieilhe)。オペラからの引退宣言をしたナタリー・デセイの後継者と若干28歳ながら注目の歌手です。リハーサル風景などArteで放映された映像


オペラからの引退宣言をしたナタリー・デセイの夜の女王


サビーヌ・ドヴィエイルの夜の女王
CIMG3761 (1024x768)2月はオペラ三昧。今日は、プッチーニの「蝶々夫人」を見にオペラ・バスティーユへ。ロバート・ウィルソン演出のプロダクション。彼の演出は以前ドビュッシーのオペラ「ペレアスとメリザンド」でも見たのですが、シンプルな衣装、白塗りの顔、後ろの照明の色で情景を描写する手法、能を意識した動き、観音さまのような手の形での表現、スローモーションや、ストップモーションで「形」を見せる演出などほぼ同じようなコンセプトでした。

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左の写真が1幕、右の写真が2幕のセット。細長い部分が廊下、長方形が部屋、そのほかの部分が庭でウネウネの部分が庭の小道の設定です。同じ舞台設定ながら、セットを約180度回転させることによって、1幕のピンカートンと結婚し幸せな状況から、2,3幕のアメリカに帰ってしまったピンカートンの帰りを信じ待つ蝶々夫人の不安や不信感を表現していたのだと思います。
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左が蝶々夫人、右がピンカートンがアメリカに帰国して迎えた妻。

蝶々夫人は言わずと知れた、日本が舞台のオペラ。ウィルソンの演出は歌詞、音楽以外で日本とアメリカを意識させるものはほぼ取っ払っていました。例えば、蝶々夫人の子供が星条旗を振るというシーンが台本に明記されているのですが、ウィルソンはこれを割愛。衣装の違いや、動きの違いによって登場人物が日本人なのかアメリカ人なのかはすぐにわかります。小道具は持ち運びできる一人用の椅子一つのみで、後はほぼパントマイムで行われました。私たち日本人にとっては違和感の覚える演出も多々ある中、ウィルソンの演出はオリエンタルな香りはするものの、異国情緒を特化せず、西洋人がイメージする日本という枠から外れて、物語を普遍化しており、西洋人の目を通してみた日本に感じる違和感をまったく感じさせませんでした。
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西部の娘、ウェルテルに引き続き、今日はヘンデルの「アルチーナ」を見にオペラガルニエへ。19時半からはじまり、2回の休憩をはさんで約4時間。カーテンコールが終わり劇場を後にした時には23時半を過ぎていました。演出はロベルト・カーセン。ガルニエのステージ裏一番奥の部屋まで使い、奥行きのある舞台設定。色々な照明から作り出される影の造形が、登場人物の心情にぴったりと合い見事でした。

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